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病院長のひとり言


Vol. 10 The Japan Syndromeと緩和ケア
2011.05.16

「もし高校野球部の女子マネージャーがドラッガーの『マネジメント』を読んだら」を読んで、絵に描いたように、出版社の思惑通りにP.F.ドラッガーの「マネジメント」を購入して読んでしまった。なんだか分かったような、分からなかったようなだったが、その一節に"人口構造が重要なのは、人口構造が未来に関する唯一予測可能な事象だからだ。"というのが心に留まった。未来を予測する上でその殆どは不確かな要素でしかないが、その中で比較的正確に未来を予測できる重要な要素が人口構造というわけだ。そういわれれば確かにそうかなと思う。

イギリス人ジャーナリストのHenry Tricks氏が、人類がこれまでに経験したことのないスピードで、これまでに経験したことのない人口構造へと突入していく日本の姿を悲観的な日本論の中で"The Japan Syndrome"と表現したそうだ。少子高齢化なんてのはもちろん知っていたけれど、そんなこんなで、あらためて日本の人口構造なるものを覗いてみると思っていたより大変なことなんだなと気付かされた。日本の高齢化率は2010年23.1%ですでにとっくに世界一、2050年には35.1%になる予想。今でも立派な高齢化社会だと思うが今は3人の若者で1人のお年寄りを支えている社会で、これからさらに拍車がかかって2050年にはおよそ1人の若者で1人のお年寄りを支えなければいけない社会の到来となるそうだ。日本の総人口も小生の記憶では、子供の頃は1億人と覚えていて、それから年々増加傾向にあり、いつの頃か1億2千万人になって、最近の人口はどのくらいまで増えたのかななんて思っていたのに、総人口はすでに減少局面に入っていて2050年には1億人を下回る予測だそうだ。ちょっと露骨な言い方だと思うが年間70万人ほどのペースで減少するのでちょうど新潟市などの県庁所在地クラスの街が毎年1つずつ日本から消えていく計算となるのだそうだ。これからのお年寄りは大変ですな〜、なんて思っていたら、んっ、ちょっと待てよ、その頃は小生が当事者じゃないかって事に気付くと、途端に他人事じゃない一人称の問題として浮上する。

デンマーク留学時代、肝移植医療を学ぶ傍ら遺伝子治療がこれからの新しい扉を開く医療になるのではとひそかに夢を抱いた。そんなことを思い出してか最近フランシス・S・コリンズ著「遺伝子医療革命」という本を読んだ。1953年にジェームス・ワトソンとフランシス・クリックによりDNAの二重らせん構造が発見され、1990年にヒトゲノム・プロジェクトがstartし、2003年4月(二重らせん構造発見からちょうど50年)に60億以上の文字でできている生命の言語、ヒトゲノム全DNA配列が決定された。パーソナル・ゲノム医療、個別化医療が到来したということを分かりやすく患者視点で丁寧に書かれていて知らぬ間に進んでいた時代にかろうじて追いついた気分になった。でも、心に留まったのは本文の後の解説文。ちょっと長いが、以下抜粋・・・。

"最近の医療はエビデンスに基づいた医療(Evidence-based Medicine, EBM)を行うことが重要とされ、全生存期間を主要評価項目とし、より長生きする治療法が「優れた治療法」とされている。しかし、急速な高齢化により、国民の価値観が変わりつつある。"全員が何よりも長生きを望む"という前提が崩れれば・・・従来の臨床試験の結果は意味がなくなる。これから数年の間に、我が国の団塊世代は65歳を超え、社会から引退する。65歳人口が全人口で最も多いという状況を、人類の歴史の中で初めて、私たちは体験することになる。高齢化社会では社会の仕組みが変わり、価値観や規律までが変化する。例えば65歳以上の人の多くは、子育てを終え、経済的には比較的豊かだろう。一方で、90歳近い親を介護し、その負担に喘いでいるかもしれない。このような社会で、90歳の親から65歳の子供に遺産が相続される。65歳の人たちは一体何を望むのだろうか。おそらく、高級車でもブランド品でもないだろう。また、寝たきりとなって、子供に迷惑をかけながら生きたくはないだろう。多くの人は、何よりも自己の尊厳が維持されることを望むのではなかろうか。価値観は多様化し、個別化する。この状況は、高度経済成長期、誰もが豊かになって長生きしたいと思ったのと対照的だ。"

「長生きをすること」という単一だった医療の価値観に「自己の尊厳が維持されること」というもう一つの評価されるべき価値観が堂々と肩を並べる時がもうすぐそこまで来ている、ということを感じさせる。

1年前から準備をはじめ、今年から緩和医療を日常診療の中で取り組んでいくことになった。昨今の"緩和ケア"なるものを勉強してみると、いわゆる終末期医療だけではなく、がんと診断されたその日から並行して行われる医療だとか、終末期の痛みには身体的・精神的・社会的・スピリチュアルな痛みがありそれらを統合した全人的ケアが重要だとかいろいろとうんちくがうるさい。もちろん論じればその通りなんだろうけれど、なんだかピンと来ないし、ややこしい。遅まきながら当院でも取り組んでみようと思った緩和医療への思いの原点は、ただ誰にでも訪れる最期のときを、もう少し穏やかに、もう少し丁寧に看取ってあげたい、というただそれだけ。すでに自己を失い寝たきりとなってなお管からの栄養で生かされ続けることの是非を問うまでもなく、もちろん安楽死とはまったく違う意味で、「自己の尊厳を保つ」ということは「長生きをすること」と同じくらい評価されるべきこととすれば、緩和ケアの姿も自ずと見えてくるかもしれない。さて、さて、価値観は多様化し個別化する近未来版の楢山節考の世界で主役を演じる予定の小生は一体何を望もうか。



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Vol. 9 知らぬが仏
2011.04.17

"それって昭和っぽくねぇ"、もう数年も前のことになるが小生の同僚が当時中学生の息子に素行を注意したところ切り替えされたセリフだそうだ。そうだもう平成23年になる。1989年(平成元年)昭和が幕を閉じ、東西の冷戦が終結し、ベルリンの壁が崩壊し、まもなくソ連が世界地図から消えて四半世紀になるのだ。昭和の経済成長真っ只中に生まれた小生が太平洋戦争のことを遠く思うよりはるかに、平成生まれの彼らにとって昭和は歴史の彼方なのだ。

当時ソ連のゴルバチョフ書記長がグラスノスチ(情報公開)を謳い、その頃から秘匿することが一方的に悪のように扱われ、とりあえず情報開示しておけば大体のことは許されるような風潮が始まったように感じるのは単なる思い込みだろうか。それにしても21世紀を迎える頃になってインターネットやら携帯電話やらがあっという間に巷に広がっていろんな情報が居ながらにして瞬時に手に入るようになってしまった。昭和のアナログ人間にとってはなんだか面白くないが、やっぱり情報がたくさんある方がいいに決まっている。明らかにそこから公正やら進歩やら便利やら未来が生まれるのだから。それに昨今のスマートフォンはかっこいい。この春発売のdocomoのXPERIA arcもMEDIASもどっちもかっこいい。大して必要性も感じないのだが、いまここで立ち遅れては現代に置いていかれるという不安もあるし、何といってもあのタッチパネルがかっこいい、やってみたい。この秋にはもっと進化したのが発売されるといううわさでうずうずしながらもう少しの我慢と言い聞かせている。

とは言っても、年をとるごとに天邪鬼が頭を持ち上げてくる小生としては情報過多に諸手を挙げて加担するわけにはいかない。誰が言ったか『知らぬが仏』というのがある。鶴の化身である女性が"私が機を織っている間は決して部屋を覗いてはいけませんよ"と言った「夕鶴」を持ち出すまでもなく、見てはいけないものを見たり、知ってはいけないものを知ったりして招く悲劇もあるのだ。多くを知ることは一見優越感を生むが、必ずしも幸せを招くわけではない。雪国の冬をそれなりに暮らしているのに、川端康成の「雪国」とは逆コースでトンネルを抜けるとそこは雪ひとつない真っ青な青空で一気に気持ちも明るくなるが、帰りにトンネルを戻るとハァッーとため息をついてしまう。知っているほうがいいこともあろうが、知らなければそれはそれでいいことだってあるはずだ。何でもかんでも知っちゃえばいいってもんじゃない。隠しておいたほうがいいというのではなくて、ただ知らなくてもいいこともあると思う。医療現場での告知の問題や検査・手術の危険性の説明なども行き過ぎの情報は患者さんにとっては少し乱暴に感じるときもある。平成になって四半世紀が経ち、情報過多は情報過誤を生み、巷にあふれる情報を遮ることも必要な時代になったということなのだろう。情報を発信する側だってそうだ。知らせないということを悪のように、隠していなければとりあえず許されるみたいに何でもかんでも情報開示してしまう風潮もあるが、知らせるまでもない、知らせないほうがいい、知らせるべきではないという判断もないのかとムッとすることもある。

スマートフォンはエレガントなアークフォルムのXPERIA arcがいいか、それとも7.7mm極薄ボディのMEDIASか。大学などの医療現場ではすでにiPadが登場し、電子媒体で読書したり論文を読んだり、あの大阪万博で夢のように語られていたテレビ電話がSkypeで当たり前のように一般人が楽しんでいる。時代は確実に昭和のアナログ人間を取り残して進んでいこうとしている。「知らぬが仏」も絶対一理あると思うが、「食わず嫌い」というのもある。今年は何としてもスマートフォンを手に入れて情報の波に乗り遅れないようにしなければ。


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Vol. 8 “What are you doing!!”
2010.05.05

ちょうど1年ほど前、新型インフルエンザがまだ微妙に世間を脅かしていた頃、人目をかいくぐってギリシャに行く機会に恵まれた。日本からの直行便はなく、飛行機の乗り継ぎの関係で日本―デンマークーギリシャードイツーデンマークー日本と渡り歩いたが、何故か成田だけがみんなマスク姿で異様であった。それはともかく、大学病院時代に学会発表していた仕事を少しまとめてヨーロッパ肝胆膵外科学会に発表するということになり、小生も共同演者として参加するよう誘われ、デンマークの友人も家族で来るからお前も家族で来いということになり、結局家族連れで行くことになった。

今現在ユーロ圏で初めて国家として財政破綻し混迷しているギリシャだが、当時はギリシャ神話、パルテノン神殿、オリンピック発祥の地などと一度は行ってみなきゃと思いを馳せていた。もちろんご存知の方はご存知だろうが、首都アテネのことを英語では"アーセンス"と発音し、そう言われれば確かに"Athens"と綴ることは小さな発見だった。それはともかく、語弊があり怒られそうな気もするが大雑把に言ってヨーロッパは南にいくほど治安が怪しくなる。そのアーセンスの街を国立考古学博物館に向かって家族で歩いていたときのこと。10mほど離れてひとり後ろを歩いていた妻が突然財布をひったくられたと叫び、それを聞いた小生はその瞬間反射的にそのスリを猛ダッシュで追いかけ、追いかけながらとっさに一言・・・・・"Hey! Hey! What are you doing!!" その一言に驚いたのか、初心者のスリだったのか、とにかく追走劇の途中振り向きざまに財布を投げ返してくれて、そのスリは逃げ去った。突然の出来事に子供たちも怖がり、驚き、そして無事財布を取り戻したパパは一躍ヒーローになった。特にすごかったのはとっさに叫んだのが日本語ではなく英語だったということだ。我が家の伝説は創られた。でも何で英語なの?ここはギリシャじゃないの?ギリシャはギリシャ語じゃなかったっけ?子供たちはまだ何にも気付いていない。パパは今しばらくかろうじてヒーローなのだ。

外国といえばほんの少し昔。岡本綾子がアメリカンゴルフツアーで活躍していた頃、インタビューでの彼女の話しぶりに少し違和感を覚えていた。これは英語と日本語、アメリカ人と日本人の違いかもしれない。アメリカ的に慣れていた彼女は質問されるとまず結論を先に言い、そして"というのは・・・・"と続き理由を述べるのが癖だった。日本的にはまず理由を説明し"だから・・・です。"と結論で締めくくるほうが自然のような気がし、なるほど英語圏の思考回路はそうなっているのかと独り言ちた。
「結論と理由」この関係は微妙だ。大切な結論なら大切なほど、さまざまな要因を考え、判断を繰り返し、そしてだから・・・だ、と最も正しいと思われる結論を導き出すに違いない。でも素直に自分の中を振り返ってみると意外とそうではないことに気付かされる。多くの場合まず結論を見出しているのだ。そしてその結論に相応しい理由探しを、時間をかけて考えているに過ぎないことが多い。しばらく前に読んだ分子生物学者の福岡伸一さん著「世界は分けてもわからない」という本の中に"私たちは見ようと思うものしか見ることができない"という一節がある。もちろん分子生物学の話で、最近年をとるごとに、お酒を飲むごとに、人の話は聞かないで自分の思うことしか話さなくなったという類の自省的な話ではない。でも、人はその多くを思考より先に感覚で結論付けているような気がするのは意外と当たっているかもしれない。正しいことなんてありはしない、正解なんてない、結論に相応しいもっともらしい理由はどうにでも作れるのだ。となると大切なのは結論を導き出す感覚、普段どんな気持ちでいるか、どんな良識を持ち合わせているか。

多くを求められ、価値観が多様化する医療現場の判断は難しい。医学生時代や研修医時代を振り返ってみても、医療は病を治すこと、少しでも延命を図ることが唯一無二の価値観だと教えられてきたように思う。限りある命とずーっと向き合ってきたのに、命に限りがあることを受け入れる価値観を見出せずにいる。これからどんな介護をし、どんな看護をし、どんな医療をするか、知識や技術ももちろん大切だろうが、間違った結論を導き出さないように平常心の中にやさしい感覚を見失わないように願いたい。すぐ近い未来に子供たちに"What are you doing?"と言われないためにも。


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Vol. 7 忘却とは・・・・・・
2009.12.18

「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」というフレーズを憶えておいでであろうか。聞き覚えがあるという方は小生より年配の御仁ということになり、忘却が多少なりとも身にしみておられるかもしれない。『君の名は』といえば、あ〜っと思い当たる人も多いかもしれない。1952年(昭和27年)に始まり一世を風靡したNHKラジオ連続放送劇で、その冒頭のナレーションが「忘却とは・・・・」である。その後、映画化され主演の真知子役である岸恵子のショールの巻き方が「真知子巻き」と呼ばれ当時の女性の間で大流行したそうな。もちろん小生はそんな生まれる前のことなど知りもしないが、高校時代の社会の先生が授業中に何の関係があったか知らないが、この「忘却とは・・・」のフレーズを、思いを込めて語気強く繰り返し、繰り返し、語られていたのがいまだに耳についてしまっている。

忘却と記憶力の低下はもちろん違うが、そういえば若い頃は記憶力が良かった。大学時代は授業にはあまり熱心でなくいつもぎりぎりの出席率で過ごした。それでも試験はパスしなくてはいけないので試験直前に優秀な学生のまとめノートが出回るのを待ちに待って、とにかく意味も分からず丸暗記した。ウソか本当か当時小生は「“てにをは”の石橋」という異名をとった。要するに意味も分からず丸暗記するからであるが、それでも“てにをは”も間違えずに完璧に暗記することが出来ていたらしい。

今は昔。記憶力の低下は著しい。手術のときに使うハサミ類には、クーパー、メイヨー、メッツェンなどの種類があるが、もう名前がとっさに出てこないので看護師さんにはまったく素人さながらどれも「はさみ」と言ってしまうし、「あれ、ちょうだい」「あれ、ある?」「それは、あれだろう」「あれ、これしてくれるか」は日常的になってしまった。子供たちに指摘されるまでもなく本当に3歩歩くと今言ったことを忘れていたりする。

昨年東大・京大で一番読まれた本というコマーシャルコピーで外山滋比古著の「思考の生理学」という本が新聞で紹介されていた。その中のKey Wordのひとつが「忘却」で、以下抜粋・・・・。“忘却こそ大切。思考の整理とは、いかにうまく忘れるか、である。人間は記憶と再生でコンピューターにかなわない。でも、人間のように選択しながらうまく忘れることがコンピューターにはできない。取り入れ、消化したら不要な知識は捨てて頭に残った知識を整理し個性化していくことが大切。おびただしい情報で頭がメタボになれば、考えることができなくなる。”
ふむふむ。そう考えれば忘却も結構高尚なものへと変化する。じゃぁ、小生もまだ捨てたものではないかと思ったが、外山氏のいうのは意識的な忘却であって小生の記憶力の低下とは違うかと気付くとやっぱりそう甘くはないかということになる。それでも、記憶力の低下もそう悪いことばかりではないかもしれない。誰しも1年に数回はとっても恥ずかしいこと、後悔すること、嫌な思いのすることはあると思うが、そんな思いも若いときほど長続きはしなくなった。それは年を重ねるにつれて自分の中で昇華するのが上手になった訳ではなく、ただ本当に1日2日で忘れてしまう、もっと言えば覚えていられない、記憶が持続しない、ということだ。どんなに落ち込んでもほんの数日で平常心に戻ってしまう。忘れてしまうことは存外自然の摂理として必要で幸せなことかもしれない。

この秋の週末、無性に山を散策してみたくなり1人で朝早くから立山にトレッキングに行ってきた。家族は誰も付き合ってくれない。これまで山登りもトレッキングも1人散歩もまったく縁がなく、まったくそんなタイプでもなかったのに、何故か無性に行きたくなった。ただひたすら黙々とひとりで歩くだけなのに、妙にしみじみとしたひそやかな楽しさがある。ふと周りに目を向け、すれ違う人たちに気付いてみるとそんな中高年が結構多い。そうか、ここは中高年の踊り場、中高年として公園デビューを飾ったに違いない。

年明けにはいよいよ50歳を迎える。気持ちは18歳のあの大学の春の時とちっとも変わらないのに・・。謙信は「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒」と辞世の句を残し、信長は「人生五十年、下天のうちをくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり」と舞った。
早春の若葉をひときわ美しく感じたり、秋の紅葉の色合いをひとり楽しんだり、無性に山へ行きたくなったり、記憶力の低下も忘却として受け入れたり、自分の中で肉体の衰えだけでない何かが変化している。これは円熟なのか、はたまた老化なのか。


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Vol. 6 中庸(ちゅうよう)の徳たるや、・・・・・・
2008.9.1

「中庸の徳たるや、それ至れるかな」なんて、ご存知であろうか。小生の大学病院時代の主任教授が医局の同門会誌に『幸』についてのエッセイを寄せられ、そこでこの中庸の徳に触れられており、ああ、確かそんな一節があったなと思い出した。さっそく辞書ならぬインターネットを紐解いてみると、「論語」のなかで孔子さんが述べたそうで『中庸』は儒教の倫理学的な行為の基準をなす最高概念として尊重されてきたものだそうだ。意味は“偏らず、過ぎることなく、及ばぬこともなく、平常にして変わらないことが、徳として最上のものである”とのこと。ふむ、ふむ、そう言えば「過ぎたるは猶及ばざるが如し」なんてのがあったな、とか、でも「帯びに短し、襷に長し」なんてのもあるなと横槍をいれてみたりするが、『中庸』はもっと高級なもので、ギリシャ哲学の「二コマコス倫理学」のなかでも同様の徳についてアリストテレスさんが、勇気は蛮勇や臆病の中間的な状態である時はじめて徳として現れ、この両極端の中間を知る徳性が大切といって、この徳をメソテースMesotes(英語ではGolden MeanあるいはHappy Mean)と呼んでいるのだそうだ。

一つのことを追求し、緻密に積み上げ、極めていくことも大切であろうし、おそらく現代社会が享受しているありがたい便利さ、インターネットも、携帯電話も、大型液晶テレビも、医療技術の進歩も、こうしたたゆまない努力の産物だとも思うが、そんな中で多くの凡人にとってこの『中庸』はありがたい。もちろん『中庸』はもっともっと高級なもので凡人とは縁もゆかりもないものだろうが、思い切って凡人風に解釈すれば要するに“ほどほど”ということで、これなら何とかいけそうでありがたい。

今年の夏のNHK北京オリンピック放送テーマソングMr. Childrenの「GIFT」をお聞きになっただろうか。最近覚えたYou Tubeで動画とともに聞いてオリンピックの余韻に浸ってみたりしているのだが、・・・・・「白か黒で答えろ」という難題を突きつけられ、・・・・・・、白と黒のその間に無限の色が広がっている、君に似合う色探して・・・・・なんてフレーズがあり、やっぱり、白も黒も確かにあるけど、ほとんどはその間にあるわけで、高度先進医療も在宅医療もあるけれど、やっぱり、日常的な病気のほとんどはその間にあるわけで、などと勝手に腑に落ちたりしている。

大学病院での先端的・専門的医療時代を終えてこの病院に赴任して早6年が過ぎ7年目を迎えている。年長さんだった息子も小学5年生、2歳だった娘も小学1年生になった。もともと一つのことを極めるより、浅く広くを得意としてきたので、一つの専門にこだわらず、やれることは何でも、標準的医療レベルに遅れをとらぬよう、日常的な疾患に対応していこう、と心に秘めやってきたわけだが、そんな時、『ほどほど』がそんな立派な徳であったとはありがたい。『中庸』が『ほどほど』までは許されるかもしれないが、調子に乗って「いいかげん」と解するのはいくらなんでも行き過ぎであろう。高度な先端医療はしないけどいいかげんな医療もしない、終わりある命の中で延命だけの価値観も行き過ぎであろう、もともと不確実な上に医療も生活も成り立っているのに一方的に確実を強要したり不確実なことを盾に取って保身するのもどうかと思う、医療を忘れ経済性を追求したり、医療という名の下に経済性を無視したり、・・・・そう考えてみるとせっかく『中庸』を『ほどほど』と解したのに、『ほどほど』も意外と難しい。


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Vol. 5 衣食足りて・・・・・・
2007.4.8

新聞記事を読んでいたら「衣食足りて礼節を知り、云々・・・」と目に入った。あれっ??衣食住じゃなかったっけ?恥ずかしながら今のいままで「衣食住足りて礼節を知る」だと思っていた。ふつう、衣食だけよりも衣食住の3点セットでしょう。

これはいかん、と思って調べてみるとなるほど、なるほど奥は深い、うんちくはあるもんだと思った。「衣食足りて礼節を知る」ではなくて本当は「衣食足りて栄辱を知る」だというのもあり、どっちなんだと思ったら実は「倉廩実ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」(倉廩実則知礼節、衣食足則知栄辱)で、孔子さんがそう言ったと思ったら実は春秋時代の斉の宰相の管子だそうである。さらにこれを進化させたものに孟子さんの「恒産無き者は恒心無し」(定まった財産や生業がなければ、正しく安定した心が得られない)というのがあり、ふん、ふんなるほどそうか、いずれにしてもやっぱり出は中国かと思ったら、日本では清貧の中にこそ礼節があり「武士は食わねど高楊枝」となる。ところが、衣食足りれば礼節を知るのかというと、さにあらず。衣食足りると、住を望み、権力を望み、愛人を得て、“足るを知る”ってことが無いようで、裕福になるほど礼儀や公徳心を失うことも間々あるようで、物満ち足りて自己権利ばかりを主張する現代社会にあっては「衣食足りて礼節を忘る」や「衣食足りて、尚、礼節を知らず」となるそうだ。いずれにしても、「人間性」というものは「物質生活」と密接に結びついていることは間違いないらしい。

以前デンマークに留学していたとき、もの珍しさで日本ではさしずめ皇居での一般参賀のようなものに行って、ベランダで手を振るロイヤルファミリーにデンマーク国旗の小旗を振ってみたりしてお祝い気分を楽しんだことがあった。愛国心というと言葉が重いし、本当のところは知る由もないが、デンマーク人はデンマークという国を普通に自然に愛しているな〜、と感じ、そんな時雑談の中で自国を愛せない人が他国を愛せますか、というようなことを聞いたような気がする。あっ、そうかと思い、なるほど人は自分を大切に思い、親兄弟を、子供を、家族を、わが街を、ふるさとを、県を、日本を、他国を、地球を大切に思うのかもしれない。“衣食足りて”は物質的なものだが、精神的にも内なるものが満たされて、その後礼節やら栄辱やらを知るのではなかろうか。やはり、自国を愛さずに他国を愛したり、自分を大切にしないで人のために尽くすなんていうのは、一見高貴なようで何か不自然さを感じてしまう。

「患者様」や「患者の利益優先」、「患者本位の医療」などと叫ばれ、それはそれでいいことなのだろうが、無節操な患者の権利意識の助長や医療者側が患者様をおもてなしするかの如く成り下がってもそれはそれで不自然というものだ。病する者と治す者の関係は、“病を得て困っているので何とか頼む”という人に、“誠意を持って自らの知識と技術でこれに応える”、というのが自然な姿だと思うのだが・・・。

ともあれ、物質的にあるいは精神的に内なるものが満たされないで、患者さんに優しくできるはずもなく、技量も発揮されまい。もし、お題目だけ掲げて患者様優先の医療を強要されても不自然さから歪みが生じるだけである。自らを律して患者様のためと仕事に励むより、妻の作ったお弁当にお肉のひとつでも入っていた方がよほど良い仕事ができるというものだ。

“患者様のため”“地域のため”も大切だか、「急がば回れ」、「北風と太陽」っていうのもある。同じ働くならより良い環境で少々の誇りを持って楽しく働きたいとは誰もが願うこと。それならばまず自らが働く病院を愛し、そうすれば自ずと患者さんに優しく、良質な医療ができるというのが順序であろう。そのためには、まずは病院の衣食足りて・・・、職員の心の衣食足りて・・・・・・。
武士道を育んだ日本人の子孫といえども「武士は食わねど高楊枝」は到底無理として、衣食足りた暁にはせめて足るを知り、礼節を知ることを忘れないようにと願うが、現代社会においては少し理想的、机上の空論に過ぎるか?


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Vol. 4 医療保険村の棄老伝説
2006.4.6

いやはや、今度の診療報酬改定にはほとほと参った。昨年末に「診療報酬3.16%マイナス改定!!」なんて新聞で見ても、ふ〜ん、3.16%かと思うだけで実感なんて湧かない。年が明けて3.16%とはいうものの内訳は薬価・材料価格1.8%マイナス、診療報酬本体は1.36%だけマイナスなんて分かると、な〜んだ、意外と大した事ことないじゃん、と高をくくってしまった。

そしてだんだん改定の中身がもったいぶるように小出しに明らかになるにつれて、あら、まあ、びっくり。平均在院日数のさらなる短縮、療養病棟入院基本料の基準改定、医師充足率のハードルをさらにアップ、結核病棟の看護配置基準の改定、入院食事療養費の改定などなど・・・、3.16%なんてのは真っ赤なうそ、まるでおばあさんのかぶりものをした狼のような・・・・。地域の病院として高齢化する医療ニーズに何とか応えようと医療と介護の狭間で孤軍奮闘している善良な赤頭巾ちゃんのような当院にはあまりにも厳しい仕打ち。高齢患者を受け入れながら平均在院日数もギリギリでクリアしてきたし、医師不足にも何とかギリギリで耐え忍んできたし、療養病棟もお上が言うから作ったし、結核病棟もお願いって言うから続けてきたのに、それらがみんな今度の診療報酬改定の餌食になってしまった。おまけに、今年から公的な補助金は停止されることになって、弱り目に祟り目、まるでダウンしたのにパンチを浴びせられているみたい。

とは言っても、そう嘆いてばかりもいられない。こっちもこのまま朽ち果てていくわけにもいかないので、だんだんプロ意識に目覚めてよくよく今度の診療報酬改定を眺めて日本の医療政策の風を読んでみた。むかしアドルフ・ヒトラーが“どんなうそも百回繰り返せば本当になる”と言ったかどうか、とにかく医療費抑制を繰り返し唱えたお上の作戦は、とくに医療保険村からの寝たきり老人の掃討作戦だ。でもそんな露骨なことをしたらお天道様が黙っていないので、介護保険をやっている裏の楢山に移って下さい、にした。深沢七郎の「楢山節考」を読み返してみると、69歳のおりんばあさんは自ら進んで捨てられようと死に赴くなかなか物分りのいいおばあさんで、孝行息子の辰平は胸のはりさける思いで楢山に捨てに行ったらしい。69歳というのは現代ではあまりにも若いが、それはともかく食糧不足の村の掟に欣然と従うおりんばあさんが正しいのか、胸がはりさけそうになる孝行息子が正しいのか。
そう、今回の医療報酬改定は、寝たきり老人を保険診療の適応外に追いやる現代版楢山節考にちがいない。でも楢山は何にもしないで老人を白骨化させていくだけだけど、介護保険山はそうも行かないだろうからやっぱり介護保険料はどんどんうなぎ上りになっていくに違いない。それって、介護保険山への問題の丸投げ、厄介払い、横流し、ツケを回しただけ? いずれにせよ医療保険村の棄老伝説は始まった。

そんなこんなで、お年寄りも大変な時代を迎えることになったが地域の病院にとっても死活問題だ。おりんばあさんをかくまうような病院は村の掟破りとして淘汰される仕掛けになっているようで、淘汰されるのは嫌だから結局下々の庶民はお上の言うことに従うしか生きるすべがない、ってことになる。人の命の倫理を置き去りにして保健医療から老人を締め出してもいいのか、高齢化や益々医療が高度化していけば医療費が増大していくのは当たり前なのにそれに背を向けるように医療費抑制を唱えるのは根本的に間違ってるんじゃないか、高齢化する地域社会の中でこそ必要な善良な地域の病院を素知らぬ顔で淘汰していいのか、なんてお上の非情や不合理を叫んでみても、ふと考えてみるとそんな庶民の姿って歴史小説にはつきものでいつの世にもそんな珍しいことじゃないんだ、と妙に腑に落ちてみた。


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Vol. 3 雨のち雪国
2005.12.17

先週末に初雪が降ったと思ったらそのまま大雪が続いている。今年は例年より10日ほど早い初雪だそうで、それからまだ間もないのに12月の積雪量としては記録的な大雪だそうだ。

その少し前。10月、11月と雨が続いた。特に、11月はひどかった。そりゃ、晴れた日もあったと思うが、感覚的には来る日も来る日も雨といった感じだった。朝が快晴だからといって油断できない。午後には素知らぬ顔でしっかり雨が降るし、晴れた日も傘は手放せない。誰が言ったか、ここの天気はまさに山の天気だ。「ここの秋は雨ばっかりですね〜」などと言った相手が地元の人だったりすると、決まって「今年は雨が多かったですね〜」と言う返事。んっ、今年は?確か去年の秋も雨が多かったし、そういえば一昨年の秋も雨ばっかりだったような・・・・。

何故だか知らぬが春から夏は南風が吹き、秋から冬は北風が吹く。寒い冬に北から風が吹くから日本海でたっぷり水を吸った冷たい空気が日本列島を縦に貫く山々にあたって手前の裏日本に雨や雪を降らせることになる。この高田の地では妙高山が主犯格らしく、その証拠に妙高山を越えて長野に入るとカラッと晴れていることが多い。それにしても、たかだか2454mmの山を何故に雲が越えられないのかいつも不思議に思う。飛行機に乗ってみなくとも、山の上にはまだまだ空が広がっているし、山腹の横だってガラガラ空いている。いくらでも通り抜けていけそうなものなのに・・・。雲に愚痴ってもしょうがないが、関東の快晴を知っているだけに不公平感は拭えない。地球の自転が関係しているかどうかは知らないが、たとえば地球が反対に回っていたなら冬に南風が吹き、たっぷり湿った空気が山に当たって太平洋側に雲をつくり、雨を降らせ、日本海側が表日本になっていたのに、とついつい空想したりしてしまう。

この地に来てから、天気のことを気にすることが多くなったが、とにもかくにも12月に雪が降った。子供たちは大はしゃぎで、妻は今年もブルーに入った。東京の電車はちょっとした雪ですぐに不通になってしまうように、関東育ちの妻の車も雪道では出動しない。それでも雪は雨よりなんぼかいい。傘からは開放され、雪が降っても大して濡れることはない。高田公園の裸の木々の枝にうっすら積もった白黒の雪景色はやっぱりきれいだな〜、と思うし、晴れ間が覗こうものなら眩いばかりの一面の雪景色、山肌の青と白のコントラストもやっぱりきれいだな〜と思う。18歳まで雪国に育ったせいか、雪が降り出してもそんなに嫌じゃない。雪が積もった街並みを見ても落ち着きを感じるし、車を出すのに雪かきをしてもひそかにワクワクしたりする。

今年、子供たちはスケートを始め、間もなくスキーにくり出す。雪国の患者さんたちはたくましく、大雪の日も外来は途絶えることがない。大過なく、今年も1年を終えようとしていることに感謝したい。


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Vol.2 自由の勝者と病院の魅力?
2005.7.17

あ〜、それにしても医者がいない。何てことだろう。2年前には12人いた医師が、内科医師3人が抜け、整形外科医師一人が辞め、リハビリテーション医師一人が辞め、残ったのは7人となってしまった。自治医大の外科医局から2名の医師派遣をしてもらっているのがせめてもの救い・・・。こっちだってボーッとしているわけではない。新大にいったり、富山医科薬科大にいったり、自治医大にいったり、慶応大にいったり、全治病協にいったり、県庁にお願いにいったり・・・、院長になって変わったことといえば、お辞儀のときに頭を上げるまでの時間が確実に3秒は長くなったことくらい。

どこに行っても、“いや〜うちも医者がいなくて・・・・”、“ない袖は触れませんな〜”、“一体医者はどこに行ったんでしょうね〜”、“○×病院の話知ってます〜、もっと大変らしいですよ〜”なんて言われ、気がついたら軽くいなされて帰ってきている。軽くいなされながらの安直な耳学問によると、それだけではないと思うが明らかに昨年春から始まった新卒後臨床研修制度とかいうのが悪さをしているらしい。その制度の目的はかなり崇高な見識に基づいたものかもしれないが、こっちにしてみれば明日の夢より今日の飯だ。悪いものは悪い。

マッチングとか言って、要するに医学部を卒業したらどこの病院で研修したいか手を上げて希望すればだいたい叶うというシステムだ。そうとなれば鉄の斧より金の斧、10円より100円、薄給より高給、超多忙より余暇、雑用より研修、田舎より都会、裏日本より表日本、雪より快晴っていうのが人情だ。年端も行かぬ若者にそんな自由を与えたらどうなる。地方の雪国の199床の普通の病院に勝ち目なんてありゃしない。
毎年7〜8,000人ほどの医学生が量産されているはずなのに、若い医者は大学医局からも姿を消しているらしい。どこに行ったのかと思えば、都会の給料がよくていっぱい研修ができる大病院に集中しているらしい。そんな自由を勝ち取った彼らの市場は、完全に売り手市場と化している。これからの病院は勝ち組と負け組みに分かれるらしく、あの絶大なる権威を誇っていた大学医局でさえなんとか彼らに選んでいただこうとあの手この手と苦心している。
ただ「医者が足りません、うちの病院に来てもらえませんか」では話にもならない、医者が来てもらえるような病院の魅力づくりをしないと・・・・、とどこからともなく助言される。そりゃそうだ、もっともだ、とうなずいてはみるものの、さてさて普通の病院に急に魅力づくりと言われても・・・。個人権利優遇時代の勝者になった彼らに喜んでもらえるのは・・・・、お金、休暇、ポジション、はたまた超豪華特典か・・・・・。ん〜、情けない、出口が見えない。

そうぼやいてみても、もう時代は明らかに変わってしまったらしい。何とか大学のお偉いさんに頼んで医局命令でうちの病院に医師派遣してもらえないかなどと企んでみても、その手は全くダメだというのである。何がダメかというと、若い医局員に「○×病院に1年間出張に行ってきなさい」と業務命令を出しても「イヤです。どうしても命令というのでしたら私ここ辞めますから」とあっさり自由の勝者に切り返されてしまうのだそうだ。

そんなことは兎に角、なんとしてでも医師を招聘しなければ・・・・・とあせりつつ、こんなことで世の中いいのか、個人権利の主張も優遇もいいけれど、そんなことで社会全体がまかなっていけるのか、社会的弱者はどうなる、何でも与えられるのが当然と思ってしまっていいのか、give and takeじゃなかったのか、幼少期を過ぎれば人からものを学ぶにはお金を払うか、礼儀を払うかのどっちかだろう、働く意義はどこへ行ってしまった、・・・・・とだんだん脱線して・・・・・われに返って、あ〜、それにしても医者がいないとまたしても呟いてしまう。


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Vol.1 ハクナ マタータ
2005.4.1

昨年末、子供の冬休みに妻と二人の子供は劇団四季の“ライオンキング”なるミュージカルを観に行って来たらしい。小生には冬休みもなく、当然のごとくお留守番役が仰せ付けられ、子供たちは「ハ〜クナマタ〜タ〜・・・」と何やら怪しげな歌を歌って帰ってきた。ミュージカルだけでは飽き足らずor触発されて早速ディズニー映画の“ライオンキング”のビデオを借りてきてとにかく一緒に見ろと言う。言ってみれば子供の頃に見た手塚治の“ジャングル大帝レオ”なのだが、父ライオンのムファサを失った主役である子供ライオンのシンバが王国を追われてお先真っ暗な天涯孤独の独り身となってしまい、そこにミーアキャットのティモンとイボイノシシのブンバが現れて「ハ〜クナマタ〜タ〜、フッ、フ〜フ、フ〜ン・・・」と歌い始めるのだ。

“hakuna matata”というのは調べてみると、ケニアを代表として主に東アフリカで使われているスワヒリ語で「気楽に行こうよ」「気にするなよ」「くよくよするなよ」の意味で、英語の“no problem”に相当するそうだ。”no problem”とは少しニュアンスが違うと思うが、どちらかというと「大した問題じゃない、まあ、何とかなるさ」、日本語ならさしずめ「明日は明日の風が吹く」と言ったところだろうか。そう言えば、少し前にどこかの製薬会社のCMで南方のある島の似たような言葉を紹介していたし(ん〜、正確に思い出せないのが残念)、その道のツウのある先輩医師はフィリピン人には”明日のことは明日何とかなるでしょっ、今を楽しみましょう“という気楽さがあるのがいいと言っていたし、これまでの自分の経験を振り返っても結構ヤバイと思ってもそれなりに何とかなってきたような気もするし・・・。

そう思うと、困ったときの必殺ワザは”hakuna matata”というのは意外といいかもしれない。そんな気になってくる。

何の因果か4月から初めて院長というのをやることになった。なったのはいいが、現実を見渡すと状況はかなり厳しい。医療を取り巻く社会情勢は厳しくなる一方だし、内部に不協和音がないわけではない、とりわけ医者不足は相当深刻で、おまけに雪国となると部外者は立ち入ろうともしない。新任院長として、今年の2大柱は「医師の確保」と「病院の収益アップ」なんてお題目を唱えてみたり、地域に根ざした病院を核とした新しい地域医療の形態を作っていければいいな〜なんて想いを馳せてみたりもするが、そこにたどり着く経験と手腕に乏しいのが悲しい。とはいっても、社長も大臣も、最初はみんな一年生。まあ、何とかなるさと思ったとき、やっぱり新米院長の必殺ワザは”hakuna matata”でいこうと心に決めた。

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