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「もし高校野球部の女子マネージャーがドラッガーの『マネジメント』を読んだら」を読んで、絵に描いたように、出版社の思惑通りにP.F.ドラッガーの「マネジメント」を購入して読んでしまった。なんだか分かったような、分からなかったようなだったが、その一節に"人口構造が重要なのは、人口構造が未来に関する唯一予測可能な事象だからだ。"というのが心に留まった。未来を予測する上でその殆どは不確かな要素でしかないが、その中で比較的正確に未来を予測できる重要な要素が人口構造というわけだ。そういわれれば確かにそうかなと思う。
イギリス人ジャーナリストのHenry Tricks氏が、人類がこれまでに経験したことのないスピードで、これまでに経験したことのない人口構造へと突入していく日本の姿を悲観的な日本論の中で"The Japan Syndrome"と表現したそうだ。少子高齢化なんてのはもちろん知っていたけれど、そんなこんなで、あらためて日本の人口構造なるものを覗いてみると思っていたより大変なことなんだなと気付かされた。日本の高齢化率は2010年23.1%ですでにとっくに世界一、2050年には35.1%になる予想。今でも立派な高齢化社会だと思うが今は3人の若者で1人のお年寄りを支えている社会で、これからさらに拍車がかかって2050年にはおよそ1人の若者で1人のお年寄りを支えなければいけない社会の到来となるそうだ。日本の総人口も小生の記憶では、子供の頃は1億人と覚えていて、それから年々増加傾向にあり、いつの頃か1億2千万人になって、最近の人口はどのくらいまで増えたのかななんて思っていたのに、総人口はすでに減少局面に入っていて2050年には1億人を下回る予測だそうだ。ちょっと露骨な言い方だと思うが年間70万人ほどのペースで減少するのでちょうど新潟市などの県庁所在地クラスの街が毎年1つずつ日本から消えていく計算となるのだそうだ。これからのお年寄りは大変ですな〜、なんて思っていたら、んっ、ちょっと待てよ、その頃は小生が当事者じゃないかって事に気付くと、途端に他人事じゃない一人称の問題として浮上する。
デンマーク留学時代、肝移植医療を学ぶ傍ら遺伝子治療がこれからの新しい扉を開く医療になるのではとひそかに夢を抱いた。そんなことを思い出してか最近フランシス・S・コリンズ著「遺伝子医療革命」という本を読んだ。1953年にジェームス・ワトソンとフランシス・クリックによりDNAの二重らせん構造が発見され、1990年にヒトゲノム・プロジェクトがstartし、2003年4月(二重らせん構造発見からちょうど50年)に60億以上の文字でできている生命の言語、ヒトゲノム全DNA配列が決定された。パーソナル・ゲノム医療、個別化医療が到来したということを分かりやすく患者視点で丁寧に書かれていて知らぬ間に進んでいた時代にかろうじて追いついた気分になった。でも、心に留まったのは本文の後の解説文。ちょっと長いが、以下抜粋・・・。
"最近の医療はエビデンスに基づいた医療(Evidence-based Medicine, EBM)を行うことが重要とされ、全生存期間を主要評価項目とし、より長生きする治療法が「優れた治療法」とされている。しかし、急速な高齢化により、国民の価値観が変わりつつある。"全員が何よりも長生きを望む"という前提が崩れれば・・・従来の臨床試験の結果は意味がなくなる。これから数年の間に、我が国の団塊世代は65歳を超え、社会から引退する。65歳人口が全人口で最も多いという状況を、人類の歴史の中で初めて、私たちは体験することになる。高齢化社会では社会の仕組みが変わり、価値観や規律までが変化する。例えば65歳以上の人の多くは、子育てを終え、経済的には比較的豊かだろう。一方で、90歳近い親を介護し、その負担に喘いでいるかもしれない。このような社会で、90歳の親から65歳の子供に遺産が相続される。65歳の人たちは一体何を望むのだろうか。おそらく、高級車でもブランド品でもないだろう。また、寝たきりとなって、子供に迷惑をかけながら生きたくはないだろう。多くの人は、何よりも自己の尊厳が維持されることを望むのではなかろうか。価値観は多様化し、個別化する。この状況は、高度経済成長期、誰もが豊かになって長生きしたいと思ったのと対照的だ。"
「長生きをすること」という単一だった医療の価値観に「自己の尊厳が維持されること」というもう一つの評価されるべき価値観が堂々と肩を並べる時がもうすぐそこまで来ている、ということを感じさせる。
1年前から準備をはじめ、今年から緩和医療を日常診療の中で取り組んでいくことになった。昨今の"緩和ケア"なるものを勉強してみると、いわゆる終末期医療だけではなく、がんと診断されたその日から並行して行われる医療だとか、終末期の痛みには身体的・精神的・社会的・スピリチュアルな痛みがありそれらを統合した全人的ケアが重要だとかいろいろとうんちくがうるさい。もちろん論じればその通りなんだろうけれど、なんだかピンと来ないし、ややこしい。遅まきながら当院でも取り組んでみようと思った緩和医療への思いの原点は、ただ誰にでも訪れる最期のときを、もう少し穏やかに、もう少し丁寧に看取ってあげたい、というただそれだけ。すでに自己を失い寝たきりとなってなお管からの栄養で生かされ続けることの是非を問うまでもなく、もちろん安楽死とはまったく違う意味で、「自己の尊厳を保つ」ということは「長生きをすること」と同じくらい評価されるべきこととすれば、緩和ケアの姿も自ずと見えてくるかもしれない。さて、さて、価値観は多様化し個別化する近未来版の楢山節考の世界で主役を演じる予定の小生は一体何を望もうか。
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